東京高等裁判所 昭和29年(う)2012号 判決
被告人 アルフレツド、エル、モーア
〔抄 録〕
論旨第一点について。
記録を調べてみるに、原判決が、その理由において、罪となる事実として、「被告人は米軍第三海兵師団第三海兵連隊第三タンク大隊D中隊所属の伍長で静岡県駿東郡富士岡村所在の米軍フジサウスキヤンプに駐留するものであるが、昭和二十九年二月九日夜前同村大阪三百七十番地USバー前から根上清(当三十一年)の運転する御殿場タクシー株式会社所有静五―五六八二号中型自動車に、同僚ロバート・エル・メルトン、及びドナルドデイ・ルツカアビルと共に乗車して、同夜午後十時四十分頃沼津小山線県道を御殿場方面に向つて進行中、同村字竈地内の人家及び人通りのない淋しい地点に差蒐つたが用便のため停車を命じて停車した際右根上より所持する金員を奪取せんことを決意し、運転台より右根上を引降して同人の右顏面を一回殴打した上更に同人の頸部を強く扼しながら「金を出せ」と申向けて暴行脅迫し、その反抗を抑圧し、因て同所において同人よりその所有の現金約千四百円を強取したものである。」との事実を認定判示していることは所論のとおりである。然るに、所論は、右の事実中、被告人の右暴行脅迫によつて被害者根上清の反抗を抑圧したとの点については、証拠が不十分であり、原判決には、この点につき証拠に基ずかずして事実を認定した違法がある旨主張するにより、案ずるに、なるほど、原審公廷における証人根上清の供述中に所論摘録のような弁護人との尋問応答の存することは所論のとおりであるが、しかし、この部分の供述を同証人の検察官との尋問応答部分の供述と対比し、同証人の供述全体を通じて検討考察するときは、同証人の証言によつて同人が被告人の原判示暴行脅迫によりその反抗を抑圧された事実を認めるに十分であるから、この点について証拠不十分であるとの所論は採用し難く、従つて、原判決には、この点につき所論のような証拠に基ずかずして事実を認定した違法及び事実の認定と証拠理由との間にくいちがいが存ずるものということはできない。
次に、最高裁判所判例の示すところによれば、強盗罪の成立には、社会通念上相手方の反抗を抑圧するに足る暴行又は脅迫を加え、それによつて相手方から財物を強取した事実が存すれば足り、その暴行脅迫によつて相手方が精神及び身体の自由を完全に制圧されることは必要でないと解すべく、又、他人に暴行又は脅迫を加えて財物を奪取した場合に、それが強盗罪となるか恐喝罪となるかは、その暴行又は脅迫が社会通念上一般に被害者の反抗を抑圧するに足る程度のものであるかどうかという客観的基準によつて決せられるのであつて、具体的事案における被害者の主観を基準として、その被害者が反抗を抑圧されたかどうかによつて決せられるものでないと解すべきことは、いずれも所論のとおりである。そこで、今本件につき、被告人が被害者根上清に対して加えた暴行脅迫が、社会通念に照らし、果して一般的に被害者の反抗を抑圧するに足る程度のものであつたかどうかの点を検討するに、原判決挙示の各証拠をそう合するときは、本件犯罪は、原判決も認めているように、犯行当時における被告人の同行者両名は直接これに関係せず、被告人のみの単独犯行と認められ、且つ、金員奪取の手段としての暴行脅迫の行為も、原判示の日時場所において、被告人が被害者根上清に対し、同人を自動車の運転台より引きずりおろし、その右顏面を一回殴打した上、同人の頸部を強く扼しながら「ギウミーマネー」と申し向けただけであると認められることは所論のとおりであつて所論指摘の他の事例にみられるような匕首・拳銃等の兇器を携帯して、或はこれを被害者に示し、或はこれをもつて被害者を殺傷し、或はこれをもつて被害者の生命身体等に危害を加うべき言動に出る等の暴行脅迫と比較してその程度が軽いと認められることは勿論であるけれども、原判決挙示の証拠によるときは、本件は、原判決も判示しているように、時は午後十時四十分ごろの夜間であり、場所は人家及び人通りのない淋しい道路上であつて、被告人側にはたとえ直接犯行に加わらなくとも、同行者たる二名の米兵が控えているのに、ただ一人の被害者を自動車の運転台より引ずりおろした上、前示のような行動に出たものであることが認められるのであるから、かくの如きは正に、社会通念上一般に被害者の反抗を抑圧するに足る程度の暴行脅迫であると認めるのが相当であるというべく、従つて、原判決が被告人に対し、恐喝の事実を認定しないで、強盗の事実を認定したことは当然であつて、原判決には所論の違法は存在しない。
しかして、原判決挙示の各証拠をそう合するときは、原判決の判示事実はすべて十分にこれを肯認することができるのであつて、記録を精査検討してみても、右認定が誤つているものとは考えられないから、原判決には、所論のような判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があるものということはできない。論旨はすべて理由がない。